自分とは誰?この世とあの世の位置情報について(その1)

自分は本当に自分でしょうか。

そんなこと、当たり前でしょう?と言われるかもしれません。

 

本当の自分は発言できず、行動制約されている。と知ったらどうですか。

では、私は誰?

私とは、誰かの意志で生きている一生物です。としたら?

 

自己認識の正当性を証明する。

これは難しいです。特に言葉で説明するのは難しいです。

自分であることを証明するのに、自分でないことを証明すればよい。

とは論理的な話です。

どうして自分が自分と言えるのか。

自分が自分でないと言えるのか。

 

もしかして。

 

会社の課長である自分を生きていませんか?

夫、彼氏として奥様や彼女の望む男性像を生きていませんか?

つまり、周囲の人の描く期待感、人物像を生きている状態ではありませんか?

ということを問いたいのです。

 

では、本当の自分ってどこにいるのか?

わたくしはこの問いに対して長い時間考えてきました。

そのひとつの到達点が答えになるかどうかはわかりませんが、

 

「知恵の回らない時に取る行動が本当の自分である」

「失くしたら人生を崩壊させるほどの失望を感じる対象物。それに関わている自分が

本当の自分である」

「どうしても忘れられない執着、思い入れのある学問とか芸術とか仕事とか。

それに関わる時の自分の精神状態こそ本当の自分である」と考えています。

 

とっさの時に逃げずに人を援ける自分。

もしも家族を災害で失ったら、何もかも失った気持ちになって絶望すると感じる自分。

家族に見せる姿、一緒にいる時の自分こそ本当の自分の姿と知ることができます。

書籍、読書、執筆。

そしてスポーツが大好き。

絵画展に行くのが本当に好き。絵画の話をしている時に生き生きする。

そういう自分の姿を見つけています。

 

その2に続きますが、本当の自分でない自分というのもいるようです。

それは憑き物。魔が差したとか。

霊人が肉体を乗っ取る状態というのもあるようです。

これはとても長い間、おそらく20年くらい触れてきた考え方です。

わけが分からない分野の話でしたが、おぼろげとは言えわかってきました。

 

肉体を生きる上で、肉体を使われるようなことがあります。

その見極めをする必要があります。

今の世の中はあまりにも科学万能主義に陥っており、真の霊界、人界の関係性について

言及できないばかりか、靈の存在をインチキとか嘘つきとかという意味で非科学的と

決めつけてしまう風潮がありますね。

 

本当は生きる上で最も大事なことです。

その真実の勉強なくして、社会のピラミッドの一構成員として一生を終えるように

仕組みが整っています。

これらは解明していく必要のあることです。

霊界と人界の関係性について、自分で考えたことをその2で記したいと思います。

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