組織の長としての姿勢、部下としての姿勢
組織は生き物。
毎日、様々なことが生じる。
うれしいことも、その前兆もあれば不吉な予感や
不協和音を感じることがある。
組織の長であれば、腹を括らねばならない。
もちろん、不完全な長であり、不完全だらけ隙だらけだ。
そういう懊悩と喜びの中で、どのような長が真価を出すのか。
この場合の真価とは本当の真価。
組織の人が育ち、仕事に感謝して自分の人生を確実に歩んでいると
実感できる清々しい精神状態にあることだ。主客は従業員と考える。
異なるのは、会社業績「だけ」で価値を評価する見方だ。
これは言うまでもなく、勝手にやってくれれば良いので話題にしない。
経営において真価を出す長とは、見ている世界が異なる人だろうか。
目の前のことに感情的になるのでなく、その本質を見極めている人。
長い時間軸で自己の会社の経営を見て、自己評価している人。できる人。
その理想に向かう工程の一日であること。
そういう人の経営に間違えは生じにくい。
性格的な課題もあるだろう。
名選手名監督に非ず。とはリーダー論でよく引用される言葉だ。
つまり、人を導いて初めて監督=組織の長であり、誰よりも上手に
プレイできることとは異なる世界、異なる役割のことである。
人の発展過程を小ばかにして叱ったり、蔑んだりする。
それでは人は離れ、組織は組成できまい。
人の成長に死ぬまで付き合う覚悟がなければ従業員を雇用するべきではない。
私事で恐縮だが、私は手のかからない部下だった。
勝手に考えて、動き、莫大な結果を出した。
企画は大当たりする。上司にしてみればいつの間にか十分な業績を稼ぎ出す
部下だった。
そして、組織に貢献して同僚の面倒も務めて見た。
何事も早く、的確に準備していて、上司が気づいた時には私がすでに完了させた
結果を受け取るだけだった。
飲み会になれば、優良情報の公開だけでなく場がなごむ楽しい酒の場を作った。
上司から言われた言葉。「サラリーマン人生の中で最も幸福な毎日を送らせて
もらった。ありがとう」「仕事、すごいな」
こうした人との出会いが誰にでもあるわけではない。
通常の上司、管理職とは部下に関するストレスで我をわすれるほどに圧迫されて
いることが多い。
覚悟して組織を率いねばならない。
私のような部下が例えば2人。2人いたら完璧だと思う。
そういう部下を育成するには相当な労力を覚悟するべきだ。
私は管理職になったあと、優秀な部下を大量に輩出した自負がある。
その秘訣は確かにある。
その部下たちとは一生の付き合いになっているが、その時の記録、秘訣は別の
機会に譲ることにする。
上司の視線の先に何があるのか。
私は目下の部下の粗を探して、詰ったり叱責する管理職の人間性が嫌いだ。
あなたの上司にそういう側面があるならば、あなたに大きな落ち度があるか、
上司が精神を病んでいるので大きく観察して身の振り方を考えた方が良い。
勉強のできた人で、ズルい人間性の者に多い現象だ。
そういう姑息な人間とは縁を切って、清潔な空気を吸った方が良いです。
時間を無駄にせず、すぐに決断した方が良いと強くお勧めします。