気質と役割、存在を許されているという話

自分が生まれる前の記憶にアクセスすることがありませんか?

何となく不思議な想いを抱く景色、心境、匂い、光の具合・・・

心からホッとして安心していられる事、モノ達。

 

そういう事が共有できる人との間に何らかの因縁があることは

「理由なく」確信できるものです。

そうして、どのように考えればよいのか。そして行動するのか。

自分の本質に従う時、恐れもなく確信だけがあります。

 

文字言語の認識としては、「正しいと思うことに従う」と言える

と思います。

この精神の心棒を持つことができない種族がいることもわかりました。

人の感情を理解することができず、思考の範囲が自分の損得や

生存可能性にのみ限定されている人のことです。

会社では保身行動、他責習慣とも言えると思いますね。残念な人。

 

しかし、考え方を変えてみるとその種族の人は一生懸命にしている

のです。一生懸命、自分に正直に生きているだけなのかもしれませんね。

自分の事しか考えられず、人を見た目、学歴、職位、年収や住所で

区別してしか認識できない「気質」で生まれてきているのです。

それは、輝く存在として生まれて大勢の人を幸福と真実に導く経験を

する人の引き立て役でもあります。

現世ではとても悔しい想いをすると思います。

 

なぜなら、あんな奴よりも学歴も良いし職位も高いのにどうして

俺には人望がないのか?

どうして俺は人気がないのか?といじけて暗い気分になっているかも

しれません。

お気づきのように最初から間違っているのは、学歴や職位で人望は

得られないという前提を勘違いしています。

反対から言えば、学歴も職位は人気に関係がない要素だと言う事です。

もしも、そのことに気づき、心から輝く立場を望むのであれば変わる

こともできると思います。それは本人次第です。

 

ところで、この世に存在を許されているのは、その存在に意味があり、

存在することを神に許されているから。とも言えます。

大きな気持ちで、神の心を見習って人を眺めて上げることも大事です。

 

以前の記事に書いた方法で考え直すのも良いと思います。

 

善には善の役割、悪には悪の役割があり、善は悪があることで善なる

ことを知るという側面もあると思います。

善神の威光を顕すためには悪神の力は、善神のそれと同等のものが

必要であって、悪神も全力で襲いかからなければ善神の輝きも全開に

できないもの。

それが存在を許されているという理由なのだと理解しています。

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