私たちは聖書を書いている
2021年3月14日
聖書は宗教の教典ではないという見方があります。
教典ではなくて、記録書。
未来のタイムラインを見通した結果。その記録ではないかと。
世界は瞬間ずつ選択されている。
いろいろなゲームが準備されている中で、何を選択して遊ぶか。
これは自分の意思で選択することができます。
自分の心で決める=覚悟をすることです。世間体や妥当解を探す
癖ではできません。
お友達を競争相手とみなして、勉強の点数で選民するように育った
連中はこれが苦手。
みんなを活かしながら周囲を良くして行くことができないです。
自分で選択する現実を創る。できるか?できないか?ではなくて
やるか?やらないか?の問題なのです。
世の中が大きく、もう二度と戻らない姿になるとき。それは今。
その目撃者として、私達は生きているのです。
自分の内面の掃除。自分の心の掃除。自分の体の掃除。
遺伝子は元に戻され、寿命は延長する。
お金で作って、経験し尽くしたお金の世の中をお金で潰す。
技術世界はこない、貯金の保険も不要。
何もかもが刷新される。想像できない世界に変革する。
今、自分ができることはなにか。それは、自分をアップグレード
しておくことです(出来る限りすることです)。
世界はカサンドラ・クロス。
封鎖列車停止の出来ない暴走をしているという現在です。